福井大学工業会誌 第73号 寄稿

母校である福井大学工業会が発刊する「福井大学工業会誌 第73号」にささやかですが寄稿しました。

寄稿の機会をいただきありがとうございました。

以下原文です。

「井の中の蛙になりたくて」

井の中の蛙大海を知らずということわざは、中国の「壮子」由来のことわざである。意味は、狭い見識にとらわれて他に広い世界があることを知らないで自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。これだけだと、とてもマイナスなイメージのことわざである。しかし、このことわざは日本に輸入されたときに進化を遂げることになる。そのことわざが「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」である。語尾に言葉を追加させ、そもそもの意味を鮮やかに反転させた。意味としては、確かに井戸の中の蛙は広い海があることを知らないが、井戸から見える空の蒼さを、井戸の中の世界に長くいたからこそ誰よりも深く知っているという意味である。このことわざを知った時、建築家としてどこの場所で独立するか、とても悩んでいた時期であったので、まさに青天の霹靂であった。モヤモヤが一気に晴れた瞬間だった。こうして、独立する場所が一気に決まった。故郷である福井だ。福井という田舎を拠点として、自らが井の中の蛙となることで、空の蒼さ(暮らしの本質)を深く知ることができるのではないかという仮説のもと独立の道がはじまった。

話は戻るが、井の中の蛙のように視野を狭めていく作業は昔から好きである。それは、カメラのピントを合わせる作業に似ている。建築家を志したきっかけもそれに近い。恥ずかしい話だが、高校三年まで将来の夢など何もなかった。無数の仕事から自分の仕事を選ぶなど到底できないと諦めていた。しかし、高校三年の夏に一気に視野が狭まった。それはNHKの特番「建築家 安藤忠雄」を見たときだった。番組を通してだが建築に夢を見た。夢を見続け、世の中と戦い続ける建築家という職業を初めて知り、虜になった。将来の夢は「建築家」に決まった。大学の選択も建築家になるには「建築士」という免許があり、それを最短で取得するには、建築学科が有効だと知り、とにかく建築学科に入ることを目指し、福井大学建築建設工学科に入学した。入学し卒業するまでも同期や先輩後輩に恵まれた。当時の閉鎖的な大学の環境を破壊しようと立ち上げた「北陸建築学生団体sak」や「greens」。これらはすべて自分の環境は自分でつくるという信念に基づいて行動した結果だった。自身の環境を自身で生み出すにはまさに井の中の蛙のように籠る必要がある。必要な情報を自身で取捨選択し、環境を生み出す作業は自分にとって何よりも楽しかった。名古屋の設計事務所に勤めてからも周囲の所員の方々に恵まれた。2年目にして3000㎡を超える小学校を任されたり、建築のノウハウを叩き込まれた。この修行がなければ今の自分はない。感謝しかない。

その設計事務所を退所し福井で独立して、早4年を迎えようとしている。自分の事務所の理念としては、建築の設計にとどまらず、暮らしというものに寄り添い、暮らしが豊かになるために、暮らしの新しい価値を生み出していきたいと考えている。モノづくりを通して、モノゴトを共有し、人々をつなぎ、これからの社会をつくっていくための新しい価値を生み出すことに重きを置き、福井という田舎を拠点として、世界という大きな海で戦い、暮らしの本質を探る事務所でありたいと思う。

井の中の蛙が何よりも強いことを信じて。